新潟駅から秋田駅までを自転車で走る旅の2日目です。
1. 今日の天気と気分
2021年8月30日(日)。鶴岡の朝はあいにくの雨。風はなかったですが、少し肌寒いくらいでした。
それでも10時頃には雨も止み、太陽が出てきてくれたので以降は若干汗ばみながらも快適に走ることができました。
2. 実際に走ってみました
おはようございます。いい朝・・・とは言えない天気ですが、9時間寝たおかげで体調は万全です。
今回の旅はビジネスホテルに宿泊したのですが、朝早くから朝食が用意されているのはビジネスホテルのいいところですね。
しっかりと朝食を食べまして、今日の旅の身支度をせっせと行います。
今日は日焼け止め要らないかな、とか思いつつも日焼けで痛くなるを恐れて念のため塗ります。
ホテルを出るとまだ雨が降っています。
早く止んでくれないか、と思いつつもそそくさと自転車の整備を済ませてホテルを後にします。
ちょうど小学生の登校時間だったのでしょうか、列をなした小学生がぞろぞろとホテル近くの道を歩いていました。
まだ8月だけど小学校はもう始まっているのか、俺は夏休みだけどね!という謎のマウントを心の中で取りながら鶴岡市からの脱出を目指します。
無事鶴岡市を抜けると、三川町に突入です。
ここ三川町は山形県の中央に位置する人口7,000人ほどの小さな町で、山形県で唯一山がない自治体だとか。
庄内平野にドンと構える三川町は、広々としていていいですね。
こんなところにショッピングモールを発見。
どうでもよいですが、このイオンにはなんと庄内地方唯一のシネコンがあるみたいですよ。
三川町のお隣、酒田市はとても山形の中ではそれなりに大きな町です。
こちらは酒田市に流れる庄内川。
日本三大急流の一つですが、さすがに河口近くなのでむしろその雄大さに見とれてしまうほど。
庄内川を渡って川沿いに西へ進んでいくと酒田市街にやってきます。
平日だからかそれとも雨だからなのか、静かで寂しい雰囲気が漂っているのを感じました。
酒田市の観光名所といったらここ、山居倉庫。
山居倉庫は1893 年頃に建てられた米穀倉庫で、今も現役だそうです。
私が来たときはまだ開館時間前でしたが、倉庫の一部はお土産屋さんとかになっているみたいです。
川越しで見ると風情があってよきです。
NHKの連続ドラマ小説「おしん」のロケーション舞台にもなったようですよ。
先ほどの山居倉庫から少しだけ北に行くと、本間家旧本邸という、1768年に建造された武家屋敷があります。
こちらもあいにく開館時間前でしたが、300年前に作られたというだけあって醸し出すオーラというものが違いますね(適当)。
ちょっとホームページを見てみたのですが、もしかして本間さんが管理しているのでしょうか。
てっきり自治体が管理しているものかと思っていましたが、どこにも管理責任者の記載がなかったので
勝手な憶測かもしれませんが、個人が管理しているのかなと。
もしそうなら自分の実家?がこういう形で遺されているのは誇らしいでしょうね。
山形県最北の町、遊佐に入ります。
遊佐町の”遊佐”は、かつて戦国時代にこの地を統治していた遊佐氏の名から来ているのでしょうか。
地名が先なのか、人の名前が先なのか・・・。
人も車も通らない、静寂が包み込む海沿いの道を気持ちよく走っていると、日頃の余裕のない生活についていろいろと考えてしまいます。
ちなみにこの道は国道345号線で、前日笹川流れに行く際に通った道です。
国道7号線の途中からいきなり345号線が現れて、”?”となったたので地図を見ると、345号線は新潟区間では海沿い、山形では内陸を、
国道7号は新潟区間は内陸で山形区間は海沿いを走っていて、再びこの遊佐町で二つが合流しているようです。
その国道345号沿いには、「釜磯の湧水」という名勝があります。
鳥海山の湧き水が、なんと砂浜から出てくるみたいです。
ちょっと舐めてみたのですが、さすがにしょっぱかった・・・。
湧水の箇所からちょっと北にいった一帯は「女鹿」という地らしく、読み方は「めが」。
女鹿の案内板をみると「アマハゲの里」とあります。アマハゲとは、秋田のなまはげとほぼ同じルーツらしく、ここ遊佐の北部に伝わる正月の伝統行事だそうです。
ユネスコ無形文化遺産にも指定されているらしく、これからも脈々と伝統が続いていくことを願っています。
ようやく、秋田県とご対面。
最初の町はにかほ市です。
ALLひらがなの自治体名は全国に23あるみたいです。
ここはにかほの金浦地区。今のにかほの本庁舎がある場所です。
かつての平成の大合併で3町が合併してできたにかほ町ですが、どこに本庁舎を置くかで結構揉めたみたいですよ。
にかほといえは、TDKの企業城下町でもあります。
1935年創業のTDKは東工大発のベンチャー企業で、HDDなどの記録メディアで世界的なシェアを得ています。
国道沿いにいくつものTDK関連の工場が集まっており、にかほはTDK創業当時からの一大拠点です。
ゆえに地元民のTDKへの思い入れも大きいらしく、2006年の都市対抗野球でTDK野球部が決勝に進出した際には、応援団を東京に
送るためだけにJRがわざわざ寝台列車を増車したほど。
地域で何か一つを応援する、というのは東京に住んでいるとなかなか想像も付かないですが、ちょっと憧れてきなものを感じています。
ようこそ由利本荘市へ。
そろそろどこかでお昼を取らないと、と思いつつ近くの道の駅を探します。
途中、聖徳太子神社という、ちょっと胡散臭いといったら失礼かもしれませんが、やはり有名な人名をそのまま名称にしているものをみるとそのように感じてしまうのは私だけでしょうか。
でも調べてみると、「聖徳太子神社」というのは日本全国に相当数あるみたいです。
つまり由緒正しい?まあ、信仰心があればどんな形であれ、神社は神社。こういったのは邪推ですね。
聖徳太子神社から5分ほど自転車を走らせれば「にしめ」という道の駅に到着です。
一組の自転車旅をしている方々地べたで休憩している横に私も自転車を停めて、昼食を取るため中に入ります。
この日の気分はラーメン。ホルモンラーメンをいただきます。
平日だったので地元の人や仕事で来ている人が多く、店員さん、お客さん同士が顔なじみのご様子。
この土地の日常の一コマを垣間見れた気がしました。
ラーメンでお腹を満たしたあとは、もうゴールの秋田駅を意識しての疾走です。
心地よい海の香りを味わいながらひたするペダルを回し続けます。
新潟から240km、秋田まで30km。
ロングライドをしていると、ひたすら頭の中で平均時速から所要時間を算出してばかりで、小学校の時に習った「はじき」が大活躍します。
この道を右にまがると、天鷺村という歴史テーマパークがあるみたいです。日光江戸村みたいなものでしょうか。
新幹線の時間が4時半で、そこから考えると結構時間に余裕があったので途中道の駅で時間を潰そう思います。
道の駅「岩城」に寄って冷たいアイスクリームをいただきます。
サイクリング途中のアイスほど身体に沁みるものはありません・・・!
道の駅のすぐそばに、海に向かって伸びる橋を発見。
橋の先は道川漁港という港らしく、島状に突き出したとても珍しい漁港にとても興味を抱きました。
道の駅を後にして更に進んでいくと、周りに何も土地に突然あらわれた案内板。
「日本ロケット発祥記念之地」とあります。
ロケットといえば種子島では?と思いつつも、興味が湧いたのでその地に行ってみることに。
行った先にはただ一つ、石碑が建っているだけ。
たしかにこの地には1955年秋田ロケット実験場が設けられ、何度もロケット実験が行われた場所のようです。
ただ近隣にロケットが落ちてしまう事故をきっかけにこの地を追われることになり、今やその面影は一切なくなってしまっています。
ロケットのごとくペダルを回し、たくても足が追いついてこない110km地点。
羽越本線が私を抜き去ります。
国道7号線とはおさらばして、秋田市街へと延びる県道へ進みます。ゴールはすぐそこ。
この雄物川を渡れば秋田駅はすぐそこです。
ここまで来ると頭の中は旅の総括モードです。あんなことがあったなーと昨日あったことを改めて思い返しながら感傷に浸ります。
すっかり周りを建物に囲まれ、すでに先ほどまで通ってきた何もない道中が懐かしくなっています笑。
信号待ちの後ろには下校中の小学生がわらわらと。
行きは登校中と出くわしたので、ちょうど小学生が授業を受けていた時間帯に鶴岡から秋田まで完走し切ったことになります。
秋田駅まであと1kmほどですが、途中までぶらぶらと。
この建物はねぶた祭りの民俗芸能伝承館。このデカい棒を担いで行われるねぶた祭りはさぞ迫力があるのだろうなあ。
秋田駅のすぐそばにある千秋公園という城跡公園に寄ってみたのですが、入口まで来て満足してしまいました。
回るところもなくなってきたので駅に向かいます。
駅に到着。どこにでもある、よくある新幹線駅といった印象の駅ビルを横目に自転車を片付ける場所を探します。
この提灯ポストの近くで自転車を片付けよう。近くに交番もあるし笑。
自転車をしまってもなお1時間ほど時間があったのでカフェで時間を潰したりお土産を眺めていたりします。
なまはげさんと自転車のショットを撮ってこの秋田での旅を締めくくります。
新幹線に乗り込みまして東京に帰ります。
ここから4時間・・・。飛行機にすれば良かったなと若干後悔しながらも、先ほど駅で買った駅弁を食べながら帰りの時間を過ごします。
出張帰りみたいな画ですね笑。
秋田駅のお土産売り場で店員さんがNo.1人気と言っていたお饅頭も、デザート代わりに頂きました。
ぎっしり餡が詰まっていて美味しい・・・!山吹饅頭という上小阿仁村の銘菓だそうです。
上小阿仁村と言えば、自殺率No.1、医者いじめで医者が頻繁に医者が退職して村に医者がいない期間があったとか、あまりよい噂を聞きませんが・・・。
話が脱線しかけましたがお饅頭の紹介でこの旅の記録はおしまいです。それではまた!
3. 実走記録